覚書

知られていない人や作品を紹介したいです。

手鏡の風のうた

 花瓶
いくたびか 喀きつくした
葡萄酒の壜の底に
眼ざめると けさも
ひえびえと はるかに匂う
菊の骨に肖た腕よ

 体温表
新しい水平線に漂う
喪のリボンにひかれながら
また 氷嚢を吊す指が
なまぐさい曲線を描いてゆく
とある病院のタラツプへ

 林檎
すでに犯された 天の
竪琴の最後の絃のように
なおも 高く張りつめている
白い乳房よ 昏れてゆく
メスに逆らいながら

 窓
あけはなつ 深夜の
ガラス戸をはしる 弾道の影に
悪い霧に濡れた痰壺に
ああ ナザレの星の穴かあ
あんなに骨の灰がふつてくる

人見勇詩集『襤褸聖母』より

鎮魂歌

 朝焼

音もなく まだ胸を覆う
銹びついた鉄の扉をあけて
一瞬 撃たれたままの
一羽の小鳩をつかみ出す
血の海の腕

 流水

ひととき 豪雨が去ると
また 砂のベツドを脱け出し
波間に描く 傷む背髄の幻想
どこかに漂う 洗礼の衣を
たしかに沈む 青い真珠を

 墓地

つぎつぎ 垣薔薇のとげが放つ
しやぼん玉の中に息をこらす
あの傾く世界の瞳が
ひとつは 白い骨にふれて
ひとつは 白い雲にふれて

 灯

雪も星も すでに消えはてた
運河の底に こぼれ墜ちてくる
裂けた 天の蝶の留め針が
なおも 犯した指のように
刺す 夜の水母を

人見勇詩集『襤褸聖母』より

花氷

あんなに海の母が呼んでいた

ながれ星を いくたびか
摑み去る 銹びた起重機の影が

白昼の夢の園から こつそり
灼けた砂のベツドにおりていつた

氷塊にうつすらと捺された
あの聖らかな手型を
救いのような氷のかけらを

みるみる 溶かし去つてゆく
新しい「音楽の時」の背後から

したたるダリアの花びらの血

迸る夜の水
老いた杖が遺していつた
恩寵かとおもう

今宵もはげしく咳き込むと
割れた土管のようになつてゆく
芥くさい寝相の眼が
いつからか 夢みている

あのぼろぼろな
青春の地図を覆う
枯木の罠をやつと脱れた
月が とある公園に照らし出す

凍える愛と死の鎖を
薔薇色の噴水塔にからませながら
ぼくは 絶えず ぼくの
ぼくの真実を蝕む祈りのように
胸の奥から一途に噴きあげていた

どすぐろい永遠の血を
よるべない魂のうたを

人見勇詩集『襤褸聖母』より

黒い花環についての記憶

いつからか
凍てつく港町の甃をあるいていた
銹びたた鎖をひきずつて
僕は 遺愛の讃美歌集をいだき
かたい古本屋の戸を
かたい古本屋の戸を
あてどなく たたいては押した
更に 熱い釘をのむ証(あかし)のために
とある 肉屋の冷蔵庫から
灼けた庖丁が躍り出る
臓腑の匂う 堀割に沿うつて
僕は なにか 漂う浮標のように
さむい望郷のうたを口ずさんだ

一瞬轢殺し去る音も知らぬ気に

すでにあたらしい徒刊場の
鉄扉の鍵を握つている
まるで 二重国籍者のような
あの手から 深夜のレールの上に
なおも 滴りつづけていた

あれは 眼をつむる牛の
あれは 眼をつむる僕の
不信の心臓をしぼる温かい液体であつたのか

――ああ 駄目でした お父さん

人見勇詩集『襤褸聖母』より

前川佐美雄「或る一季節のはなし」『日本歌人』創刊号

 「カメレオン」の前身「短歌作品」を創刊したのは昭和六年一月であつた。この「短歌作品」は最初からケチがついてゐた、といふのは創刊号の編輯を済まさぬうちに私は腸チフスに罹つて帝大病院に入院した。創刊号を早崎君が持つて見えた頃はまだ熱が相当ひどかつたやうに思ふ。二号の編輯は病院のベツドの上でやつだんだが、どうも充分な思惑が実現出来ないで発行日が大分延びてしまひ、これが嫌気のもととなつて六年七年の丸二年間に出た数号はたつた八冊きりだつた。
 創刊当時の同人は私に石川信雄、木俣修、早崎夏衛、松本良三、小笠原文夫、高須茂、神山祐一、小玉朝子、齋藤文、蒲池侃の諸君であつて、当時は歌壇に於ける芸術派と目され、最も精鋭をすぐつたものであつた。今でも色んな人から惜しまれるのだが、「短歌作品」があのままずつと続けてゐたら多分立派な雑誌にもなつてゐたらうし、伝統短歌の革新には又相当活躍出来たらうと思はれてならない。まことに今日私にしても今一歩進歩してゐたに違ひないと思はれる。それが私自身の怠惰からあのやうな有様になつた事は、全く一緒に仕事をして呉れた前記諸君その他会員一同に申訳がない。自惚か知らんが、勃興しつつある。自由律短歌を圧へて行けるのはたつた一つ「短歌作品」よりなかつたのだから。これが私が奈良へ帰住してから、「カメレオン」といふ気取つた名前に変つてしまつた。編輯は田島とう子さんがやり、石川、早崎の両君が後にゐてくれたが、これも四五回ぐらゐ出たか知ら。それも今年の三月「松本良三追悼号」を出したきりたうたう廃刊にしてしまつた。
 こんあぐうたらな休刊雑誌も滅多にないが、お蔭で「前川は雑誌のやれない」ものと相場を定めつけられてしまつたらしい。佐佐木信綱先生でさへ、「あなたは白秋さんや尾山さん式でね」と笑はれたものだつた。然かし又よくまあこんな調子でやつて来られたものだと自分一人感心しない事もない。その上更に感心なのは、このやうな私と行を共にし最後迄居残つて呉れた三十九人の同勢なのだ。早崎や石川は腐れ縁で仕方もないが、他の諸君は気の毒だつた。屹度歌壇革新だなんて叫んでみたい連中ばかりには違ひなかつた。それだのに雑誌が出ずとも文句も言はず、よその雑誌にも行かないでいつでも面白可笑しくやつて来て呉れた。四十七士には足りない小勢だが、こんな嬉しい仲間はさうざらにありはすまい。全く感謝の言葉もないといふ気だ。尤もよそへ逃げ出した者もあるし、いつの間にか、歌から足を洗つた者さへあるが、居残つた諸君が揃つて「日本歌人」に加はり、且つ作歌を中止してゐた人も新に加はつて呉れるのは嬉しい。
 ただ残念なのは松本良三君の夭折だつた。実にいい男であつた。彼の遺したものを見ると今更乍ら素晴らしい天才だつたと嘆かれてならぬ。弱虫で強情で、さうして野性的で気品に充ちてゐた。石川が今遺稿を編輯してゐるから一周忌の秋迄には出版出来よう。ただこんなに早く死ぬのだつたらもつと歌を作らしたかつたが、小説を書くといふから無理に歌をやれとは言へなかつた。小説は一二年もすれば相当なもんだと思つてゐたが、歌の方は既に出来上つてゐたからだつた。それだけに何んとしても残念だ。
 然し嬉しい事は「短歌作品叢書」として小玉朝子さんの歌集「黄薔薇」を出しえた事だ。この歌集は朝子が如何に素質ある詩人かといふ事を一般にひろく知らしめる事に役立つた。楽屋落ちになるから多くは言はぬが一度は読んで見るがよろしい。今日歌壇にこれだけの女流歌人があるかどうかといふ事を直ちに得心するだらう。
 それから面白かつた事は朝日講堂で「夏のヴアラヱテイ」といふお祭をやつて歌壇の人々に一夕たのしく遊んでもらつた事だ。千百五十人はひれる会場へ千五百人もはひつて超満員。土岐さんにもこれには感心して貰へた。この時の講師の一人三宅やす子さんのなくなられたのは残念だつた。まだ私は三宅さんの追悼文は書かないがそのうち何か物語りたい。この日の傑作は何んとしても尾山篤二郎氏の演説だつた。実は西条八十氏に頼んであつたが、・・・(以下続く)

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ラディゲより七つ永生きしたが、タクボクより一年早く天に歸つてしまつた松本良三は、生れつきの歌詠みと言ふべきであつた。田舎に居て花や魚や蝶や牛や季節や風景や人間などを歌つてゐた頃の彼の歌には、木瓜や木蓮などの花が持つてゐるやうなありのままのうつとりさせるやうな愛嬌と素樸な色つぽさが備はつてゐたものだ。通學の爲に東京と田舎との間を二股かけるやうになつてから――そして突然周囲に捲起されたモデルスムの嵐に身を柔まれると、かれの努力とその持前とは、松本良三のポエジイの中に、意欲と無心、モダアンと樸訥、牧歌と都會的景物詩などの互に相反した幾組かのエレマンに依る獨特のカクテルが醸成され出した。イマアジユを飛んでもない方法で結び付けたり、エキゾチスムに身を任せたり、當の附かないやうなやり方で人生をあてこすつて微笑したりすることでも彼は既に大勢の人には附いてはいけない相當な所まで行つちまつてゐたが、横町の家並の間や、晴れ上つた街の空のあたりに、時としてかれがハンカチのやうに吹き流しておく牧人の角笛ののんびりとした響きは、やつぱりあいつだなとにこりさせる。「松本位短歌の好きな男を見た事がない」と石川信雄をして歎じしめたかれ、文學で身を立てる決心をした結果、小説に專心しようとしてゐたが、その期間のまだ至つて短かく、當然その生れつきから言へば、かれはもつとも歌詠みらしい精神を備へた歌詠みだつたやうに思はれるのだ。ジャムの魂を以て、――ジャムは驢馬の仲間で、良三は黄牛の友であつた――アポリネエルたらんとしてゐた、この天眞の男は、『街の角笛』と仇名すべきだ。

村木竹夫「衣巻省三、北川冬彦、安西冬衛三氏のグリンプス」『ファンタジア』第二輯 昭和

 衣卷省三
「毀れた街」は「毀した街」だ(タルホ氏)
省三氏の詩は「薔薇と泪とあれと」である。僕はいつも思つてゐる。衣卷自身がいろんな色彩と匂ひの詩を持つて歩いてゐると。
(モオニングにラツパズボン)
省三の詩は空気の匂ひがする。いつも孤独のエトランヂエ。半分死んでゐるコスモポリタン。僕は省三氏のやうに快適な人に会つた事が無い。又日本中に省三氏のやうに快適な人は居ないだらう。
僕は人と交際すると、最初の印象で其人の性格を見分ける。僕は其人の性格の惡を捨てゝ好きな点だけを見ながら交際する。だが省三氏にはそれが出来ない。このダンデイのグリムプスを捕まうと思つてもつかめないのだ
匂ひと色は只僕を強く刺戟する。省三氏のエロチシズムはジヤチズ。
HE COMES FROM KOBE!
酔つぱらつた FAIRY!