2014-03-01から1ヶ月間の記事一覧
「カメレオン」の前身「短歌作品」を創刊したのは昭和六年一月であつた。この「短歌作品」は最初からケチがついてゐた、といふのは創刊号の編輯を済まさぬうちに私は腸チフスに罹つて帝大病院に入院した。創刊号を早崎君が持つて見えた頃はまだ熱が相当ひど…
ラディゲより七つ永生きしたが、タクボクより一年早く天に歸つてしまつた松本良三は、生れつきの歌詠みと言ふべきであつた。田舎に居て花や魚や蝶や牛や季節や風景や人間などを歌つてゐた頃の彼の歌には、木瓜や木蓮などの花が持つてゐるやうなありのままの…
衣卷省三 「毀れた街」は「毀した街」だ(タルホ氏) 省三氏の詩は「薔薇と泪とあれと」である。僕はいつも思つてゐる。衣卷自身がいろんな色彩と匂ひの詩を持つて歩いてゐると。 (モオニングにラツパズボン) 省三の詩は空気の匂ひがする。いつも孤独のエ…
★衣卷省三 4 現象のすべてをエスプリに歸納させるのが彼の秘密だ。 5 エスプリの秩序のための現實の解體作業。 9 彼が笑ふ時はひとつ見付けた時だ。なにか素晴らしいことを。
最も特色のあるのは、一戸務氏の「春をおくる人々」(新作家)、衣巻省三氏の「落ちたスプウン」(新作家)、阪本越郎、北園克衛両氏の合作の「ムツシユシヤアレ珈琲店」(新作家)なぞである。(中略) 衣巻省三、北園克衛の二詩人の小説は、一般の小説の読…
衣卷氏の詩を讀むことは僕にとつて非常に久し振りだ。あの屈托のない詩集『こわれた街』以來のことだ。 彼の詩のお行儀の惡さは昔ながらのものだが、詩が赤いネクタイをつけて、ちよっとはにかんでゐるところも衣卷氏の儀禮なのである。概して『足風琴』は非…
衣卷省三「パラピンの聖母」 彼の久し振りの創作である。そしてそれは僕等の期待を裏切らず、がつちりとした構成とインサニテイを取り扱ふ一つの新しい方法とを掲げて現はれた。主人公の芝道夫の言葉の記述を作品の主體としたことは、最近の世界文學の有力な…
衣卷省三氏の『黄昏學校』には獨身な女教師の生活が描き出されてゐる。暢達な筆致だが、彼の女の生活の上面を撫でゝゐるだけで、作者の神經は作品から遊離してゐる感じがする。現實への切り込み方が不足である。
「仲人氣取」(衣卷省三氏)は、此の作者に珍しく調子が低い。それに冗漫である。一寸面白い人間も出て來るが……。
衣卷省三氏の「黄昏學校」も、私には見馴れた文學の世界である。私のやうな荒らくれた人間世界を小説でほじくりかへしてゐるやうな人間には、衣卷氏の小説はまるで裏がへしの世界のやうにも見られるが、押しをつよく言へば、かういふ小説の世界は、とうの昔…
新秋の風に托して第二號を送る。小説欄は寂しいが、書く筈だつた秋澤三郎は愛妻の獨立展制作の監督、衣卷省三は東京灣ヨツト周航、近藤一郎は珍らしく社會見學のための新聞社づとめ、岩下明男はデリケエトなからだを暑氣にやられて等々の理由で原稿ができな…
衣卷君の建設する特異な現實の城郭の掘はわれ等の越そえないものがある。君と室を共にする時、たまたま長身の男の扉を排して入来するや「あつ天井が下つた」と驚かせ、一杯の清水を汲まうと吸上ポンプを力をこめておすと、「そんなに力を入れると井戸もろと…