覚書

知られていない人や作品を紹介したいです。

2013-08-22から1日間の記事一覧

阪本越郎「作家と態度」(『季刊文学』第六冊 昭和八年六月十七日 厚生閣書店)

今度《パラピンの聖女》といふ小説集を新刊した衣卷省三はこのカンケ燈を潜つた作家であると僕は考へる。彼の中にはダダ的情熱があつて、それを押し殺してゐることがよく分かる。それ故こんなに面白い作家がゐるといふことを知られずにゐたことになる。正し…

北園克衛「小説する態度の進化」(年刊「小説」1932厚生閣書店版 「誌と詩論」別冊 昭和7・1・18)

この完璧な作品に對して(注「薄手のバラ」)、僕の希望し得ることは小説はその讀者に對しても世俗の機構、感情に興味を呼び醒すことが最高の目的ではないことであると言ふことを、強調したい。あるひはこの不服こそ僕の弱點でもあるだらうことを反省するよ…

田村泰次郎(目次は泰治郎)「「けしかけられた男」」『翰林』昭和10・7・1

衣卷君「のけしかけられた男」(ママ)は『翰林』に連載されてゐたとき、にしばしば讀んで、特異な、詩的なエスプリがまるで寶石か何ぞのやうにいたるところに散らばつて、妖しく光つてゐるのが、ひどく眼についた。 いま纏めて讀んで見て、感じることは寶石…

竹中郁「へんな広告文」『マダムブランシュ』16昭和9・6・1

〈足風琴〉の詩人衣卷省三君は、なるほど足で風琴でもかなでられさうな何でもやればやつてのける藝術家である。 じつは私は詩集の名の〈足風琴〉しか知らんので廣告文など書く資格はないかもしれない。しかし、その書いた詩は見ずとも、一夜衣卷君と神戸のハ…

北川冬彦「こわれた街」衣巻省三著 『詩と詩論』s3・12・5 第二冊

もう七、八年前にもならう。何しろまだ僕が若冠三高の生徒だつた頃の事だから。 松花江河畔のハルピンで一週間ほどを過した或る夏の夕方のことだ。舗道に埋められた拳よりも大きな石ころに躓きながら不案内の街を歩いていると、突然、いきなりうしろから僕は…

北園克衛「衣卷省三著 詩集『足風琴』」『レスプリ』ボン書店(第二冊昭和9・12・1)

村野四郎氏は《足風琴》に就いてこんな風に書いてゐる(概して足風琴は非常に肉體の匂ひがつよく、これに、やや精神的なものが瀟洒な洋服を着せるといつたところだ)僕は村野氏とは逆で滑稽であるが(概して足風琴は非常に透明な精神が非常に肉體的な洋服を…

伊藤整「文藝レビユー七月號(その他)」『文藝レビユー』p57―58

衣巻省三「パラピンの聖母」 彼の久し振りの創作である。そしてそれは僕等の期待を裏切らず、がつちりとした構成とインサニテイを取り扱ふ一つの新しい方法とを掲げて現はれた。主人公の芝道夫の言葉の記述を作品の主體としたことは、最近の世界文學の有力な…

村野四郎「詩集『足風琴』衣卷省三氏著」『詩法』

衣卷氏の詩を讀むことは僕にとつて非常に久し振りだ。あの屈托のない詩集『こわれた街』以來のことだ。 彼の詩のお行儀の惡さは昔ながらのものだが、詩が赤いネクタイをつけて、ちよっとはにかんでゐるところも衣卷氏の儀禮なのである。概して『足風琴』は非…