覚書

知られていない人や作品を紹介したいです。

黒い花環についての記憶

いつからか
凍てつく港町の甃をあるいていた
銹びたた鎖をひきずつて
僕は 遺愛の讃美歌集をいだき
かたい古本屋の戸を
かたい古本屋の戸を
あてどなく たたいては押した
更に 熱い釘をのむ証(あかし)のために
とある 肉屋の冷蔵庫から
灼けた庖丁が躍り出る
臓腑の匂う 堀割に沿うつて
僕は なにか 漂う浮標のように
さむい望郷のうたを口ずさんだ

一瞬轢殺し去る音も知らぬ気に

すでにあたらしい徒刊場の
鉄扉の鍵を握つている
まるで 二重国籍者のような
あの手から 深夜のレールの上に
なおも 滴りつづけていた

あれは 眼をつむる牛の
あれは 眼をつむる僕の
不信の心臓をしぼる温かい液体であつたのか

――ああ 駄目でした お父さん

人見勇詩集『襤褸聖母』より