覚書

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村野四郎「詩集『足風琴』衣卷省三氏著」『詩法』

 衣卷氏の詩を讀むことは僕にとつて非常に久し振りだ。あの屈托のない詩集『こわれた街』以來のことだ。
彼の詩のお行儀の惡さは昔ながらのものだが、詩が赤いネクタイをつけて、ちよっとはにかんでゐるところも衣卷氏の儀禮なのである。概して『足風琴』は非常に肉體の匂ひがつよく、これに、やや精的なものが蕭洒な洋服を着せてゐるといったところだ。
詩人が詩ばかり書きつゞけてゐるといふことは、當然なことのやうではあるが、詩を書くことにのみ執着することは多くの場合、詩人の健康のためににあまりよろしくないらしい。さうすることは知らない間に詩人を窮屈な背景の中に追ひこんで了ふからだ。これは自家中毒の一種なのだらうか。そして精神がつまらないところで疲勞してゐることがある。『足風琴』の詩にはかういった状態からは離れた、氣樂な自由さはある。あまり詩にこだわらないとこころに衣卷氏の自由な詩作法があるのかも知れない。この中に「詩法」といふ詩があ。《君は手でインキ壺からミユーズをひねくリだす。僕はわが足でそれを奏でる。こは予の詩法に於ける春秋の筆法である。》
前途のやうに彼の詩にはたしかに自在な面白さがあるにはあるが、嚴密にいへば彼の體臭を上品に裝ふウヰツトにしても、それは樂しい洒落に止まって、すばらしい新しさのスリルを僕達に感じさせることは困難である。しかしこの詩集の覘ひ所もそのへんに置かれたのではないだらうか。