覚書

知られていない人や作品を紹介したいです。

三田文學

s7/5/1 7巻4号(奥付コピーミスか?要確認 号数は目次と一致)

今井達夫「三月號同人雜誌展望」「衣卷省三氏の作品」

「病状」(新文藝時代)は漢字とニユアンスを持つ作品ではあるが、作者の自己陶醉の度が強過ぎはしないであらうか。症状を眞實に描くことは――卽ち純粹な描寫を狙へば狙ふほど、作者のみに通用する説明が横行する危險を伴ふ。この作品はその迷路に陷つてゐるのではあるまいか。

s7/7/1 7巻7号

今井達夫「六月號同人雜誌展望」「新文藝時代」
 「ポオの家」(衣卷省三氏)を讀了した印象は、標題の「ポオの家」といふ言葉の内容が、次號完結とあるその次號に於てはつきりするのではないかといふかんじであつた。今月號だけでは、その發展を約束されただけのやうなかんじであつた。だから、僕にはまとまつた批評は出來ぬが、衣卷氏が詩人だといふ観念はこの作家の文章に於て、僕にひとつの疑問を與へるのである。それは隨分と凝つた云ひ廻しや、流れるリズムやの間に、突然、荒けづりな生な言葉が飛び込んで來ることである。これはどういふ譯であらうか? 僕はこれが衣卷氏の不用意のせいであるか、或ひはまた、それが作者の狙つた技巧であるかの點に就いて、残念ながら解釈が付かぬ。しかし、若し、技巧とするならば、これは不成功である。何故ならばそれは相當に眼ざはりになるからである。

s9/2/1 2号

原實「同人雜誌」一月號作品評…目次
   同人雜誌正月號小説評…見出し

「日暦」は大分方々から期待されてゐる雜誌らしいが、私はこれも始めてであつた。(略)「にんにく(圏点)」(石光葆)は關西へんのある都會の支那人居留人地街の生活をよく描ゐてはゐるが、ただ對象への喰ひ入り方が足りない。その足りなさはこの作の可成り重要な人物、支那人の淫賣婦を全く影の薄いものにしてしまつてゐることに於て最もその遺憾を殘してゐる。

「翰林」の先月號はわけの分らない作品ばかりなので大分つつかゝつたやうに覺えてゐるが、今月は見直したことを特記する。(中略)
「キツドの靴(圏点)」(衣卷省三)、「絣(圏点)」(十和田操)、「哄笑(圏点)」(山内せい子)は、いづれも作者の素質を想はせるに足りる作品であると思ふが、さう思うふだけでそれ以上文句云ひたいとも思はないやうな作品、要するに筆力が充分にのびきつてゐないのだ。かういふ作品に對して私はいひやうのない齒がゆさを感ずる。
(中略)
「文藝汎論(圏点)」は目次だけをみると實に堂々たる雜誌である。しかし、小説二篇-「骨牌(圏点)」(衣卷省三)と「螺旋街(圏点)」(稻垣足に穂)-に關する限り、いづれも私の鑑賞力の外にあるものばかりであつたのは何としても殘念なことであつた。

s10/11/1

山岸外史「文藝時評」 「新人に就て」

衣卷省三氏の『黄昏学校』。書き出しが、美文的で、氣にいらない。多少、文章の感の多い小説だが、なにか、もの優しい感じがある。この人のものは、『けしかけられた男』を一冊送つて貰つたので半分ばかり讀んでゐる。龍膽寺雄氏の味がある樂しい小説であつた。たゞ、その方では、作家態度に些しばかりいじけのあるのを感じた。もつと『態度』が欲しかつた。それからあの小説の方では、もつと日記的に時間的にゆつくり腰を下ろして流して了ふのでなかつたら、より遙か構成を整へる可きであつた。その間のテムポの婦純粹から多少空間が緩んでゐるやうである。この作家などじつくりと感傷に生きる可き人のやうである。