覚書

知られていない人や作品を紹介したいです。

最後の晩餐   みずからの生命を断ちし若き画徒扇谷宏一に

私の背後で
閂の引かれる音を聴く
渇いた神々のしぐさ
獣くさい匂いを放つ 栗の花を咥え
死の額縁よりの 落下を待ちかまえる
灰色の光の罠

私は とある
星の蒼い瀑布の沿つて 駈けぬく
病んだ犬のように
燃える戎衣をまとう男のように
時折
清冽な流れに 魂をたくしては
かざす 生きた炬火

孤りの世界の 緩慢な破壊にこたえる
葬送の曲すら
むしろ いまは快い醉魔
がくり がくり
ひややかな肉体のように 揺れうごく
真夜の市街に辿りついた
私の顎を するどく突き上げる

ひややかに天を指している

あの古びた十字架を
永劫に 讃えねばならぬのか

おお ピエトロ・バンデイネルリよ

*ユダのモデル男をみつめていた、ダ=ヴインチは思わず畫筆を落とした。
 その乞食こそ、數年前キリストのモデルとなつたピエトロ・バンデイネ
ルリその人であり、聖歌隊歌手のなれの果てであつた。

人見勇詩集『襤褸聖母』より

埴原一亟「書けないの弁」(『文学無限』第十六号 昭和35・1・1)

 同人雑記でもと言われたが、どうにも書けない。血圧が高いせいかもしれない。それとも入院中の妻のかわりに保育園という経営者とも小使ともつかぬ仕事をやつているからかもしれない。
 書くからには思いきつて力をいれた小説をと意気込んでいるわけではないのに、どうも書けない。私は書けなくなると二十数年まえに手に入れた佐藤春夫の手紙をいつも想い出すのである。その手紙は大正八年五月十一日の消印があり、博物館(注:ママ)編集部の加能作次郎にあてたものである。その手紙を次に公開して私の書けないの辯にする。

  拝啓、突然ながら

  どうしても出来ません。書きかけた奴はどうしてもものにならないのです。それに昨晩からゼンソクの徴候があつて、筆がとれないのです。あてにして下さつたものを全く済みませんがどうぞゆるして下さい。私は妙な性分で、もうこうなると一行も書けなくなるのです。私は当分休養しなければなりますまい。雑誌の編輯者としては、私の不都合をせめて下さい。併し無気力な私をこんな場合、あなたも作家として同情して下さい。今日の心持は全く絶望です。うまいものが、いいものが出来ないから、といふのではありません。いいにも悪いにも、もう一行もつづけられないのです。拝趨の上お詑びする筈ですが、からだの具合で、これで失礼します。
     十日夕方
            佐藤春夫
 加能作次郎
  雑誌改造も同じわけで勘弁してもらひました。

悪い鏡

どうして 幕間に逝く光を断念出来よう

 あたらしい 雪の結晶の斧に 茫然と 不
信の頭蓋をうち砕かれた 僕の精神の位置は
 家庭という かなしく生きている 人間の
格子にとつては まるで水葬がふさわしい
筋のわからぬいつぴきの獵犬 うすい寵愛の
皿 手入れの欠けた爪で 聴き給え かがや
く白いタイルの階段で 天の竪琴を弾く う
んざりする死の前駆 ありふれた追憶と習慣
のうたを――

どうして 洋燈をめぐる闇が信頼出来よう

 あんなにあかるい「炎の河」に ふたたび
身を投げるには 僕たちは ただ黒い麺麭を
 ひややかな接触でひき裂けばよいのだ も
はや 水浸しになり果てた キリスト受難像
 ああ いやに唇より噴きあげてくる うら
ぎりの薔薇の血 二十七羽の小禽の洗礼 僕
には まだまだ 懺悔の夢は訪れぬ そして
 むしょうに杳かな 地球のかげの断崖をき
わめる 巻尺の終焉の一瞬――

どうして 墓穴のしづけさを圧殺出来よう

人見勇詩集『襤褸聖母』より

冬の使徒

 まるで ジヤムにでもたかる蟻のように
銹びた鉄柵のなかで なつかしい骨の灰を掻
きまわしるづけている ものうげな僕の誕生
日に いみじくも 剪りたてのレモンの薫り
をただよわす たしかに あなたの乳房の血
にひめられていた あの雪渓の肌をふきおろ
す風が 青くつめたく つかのま 死の光り
を洩らす
あれは 天の手袋のささやき

 からくも 熱い散弾を浴びながら ひとひ
らの銀杏の落葉となり 落丁した書物ばかり
の季節を抜け出たはずの 僕の叡智の尖端に
 またしても戦きはじめている 銃口――

ごらん

 傾く丘の裸木の祈りを縫い 白い冬薔薇の
とげをふくむ 麺麭のかけらを漁りつづける
 小鳥たちのふるまい ああ あきらかすぎ
る とある植民地に肖た港町のたそがれ 凍
りついた世界の葬送の譜がながれてくる ひ
とけない音楽堂の ひとつひとつの木椅子の
背後に 今日もむなしく澄んでいるような

あの瞳を狙つているのは 誰だ

人見勇詩集『襤褸聖母』より

天国の罠

 冴えた星がひしめく 悖徳の肩に からく
りの血のしぶきが灯る 愚かにも銹び果てた
鉄の提燈をかざし さて僕は ただ一個の疾
める廃墟の影となり ぼんやり 甘美な憔悴
にいのちをなげかける 花舗のウインドの暗
がりに ちらと光る青い棘 凍つた蝶の息づ
きに 夢みるような「罪」の蕾の愛らしさ

 闇だけがしづかに起きている この港町の
地底にとどろく 流氷の谺を孕み はるばる
異国より帰つてきた とある姉妹の黒髪に生
きいきと薫りはじめた なみだの涸れたリボ
ン 真紅の薔薇 純白の水仙 かなしく 信
仰の手を組み違えてしまつた 喪われた「愛」
の時間の ロマネスクなガラス絵の儚さ

 気がつくと ざらざらに曇る 僕の思想の
窓にも鮮やかに走つていた 琥珀色の十字の
罅に 洪水のようにあふれてくる おびただ
しい花の悲哀 打ちひしがれた瞳の奥に あ
んなにやさしく揺れている あかつきの光の
鞦韆より いつも濡れてあたらしい喪服を
ひるがえす 天使の指輪を索しもとめて……

 こころよく僕は「死」の方舟に怠惰な青春
を傾けていく ああ なんという愉しさ

人見勇詩集『襤褸聖母』より

夜の流水

 ひらひらと ちいさな聖霊に肖た翅ばたき
が 涸れはてた運河より這い出る 僕の蓬髪
を濡らす 冬の太陽のかけらのように カナ
リアのくちばしが 可憐にも堀り起す

 ぶざまな ダリアの球根
 あざやかな 若い魔術の凌辱

 いやに 犯した眼が ちかちかしすぎる
がらん洞の教会の疊に遺していつた 水仙
の柩の鍵 不覚のなみだで しろがねの冴え
を ついに踏みにじつた

 あざやかな 祈禱書の灰のことば
 ぶざまな 十字架の脚ぶみ

 しばらく 滅びた市街をふりかえり この
邦の道標に凭りかかる 僕の擲げつけた 白
い手袋をぬいで「未完成」を奏でつづける
あのピアノの鍵盤にふれているような

天の指よ 僕の行く手をさし示せ

人見勇詩集『襤褸聖母』より

天の竪琴

――すでに この邦の太陽もひびわれている
のであろうか

 ああ あんなに手招きしている 自殺した
友の白い額縁にめくるめく 誰もうたわない
 灼けただれた砂の海に 喀きつくした葡萄
酒の壜がただよう 僕の胸には いまもなお
 銹びついた神の銃弾がつき刺つている
み給え

 鮮やかに リルケの薔薇の蜜蜂を噛みつく
す 蟷螂の斧にも肖た おびただしい俘虜の
影を轢き うそ寒い僕の死へのレールが ま
るで 沙漠の魔法にかかつたように 世界終
焉の蜃気樓をつらぬき あのマサビエルの奇
蹟の噴泉につづいてゆくではないか

こわい こわい
泥まみれの聖処女バーナデツトの跪くこえ

人見勇詩集『襤褸聖母』より