覚書

知られていない人や作品を紹介したいです。

天の竪琴

――すでに この邦の太陽もひびわれている
のであろうか

 ああ あんなに手招きしている 自殺した
友の白い額縁にめくるめく 誰もうたわない
 灼けただれた砂の海に 喀きつくした葡萄
酒の壜がただよう 僕の胸には いまもなお
 銹びついた神の銃弾がつき刺つている
み給え

 鮮やかに リルケの薔薇の蜜蜂を噛みつく
す 蟷螂の斧にも肖た おびただしい俘虜の
影を轢き うそ寒い僕の死へのレールが ま
るで 沙漠の魔法にかかつたように 世界終
焉の蜃気樓をつらぬき あのマサビエルの奇
蹟の噴泉につづいてゆくではないか

こわい こわい
泥まみれの聖処女バーナデツトの跪くこえ

人見勇詩集『襤褸聖母』より

ぼくの世界も病んでいる

 この頃 狹くるしい家のなかにまで燻る
いやな地球の排泄物の臭気に ジリジリ馴ら
されながら きまつていつも 黄昏になると
 臥ているぼくの胸の洞穴には やさしく
刺繍糸の祈りが充ちてくる
 
 あれは爆傷でひきつつた
 黒い天使の片えくぼであろうか
 ああ あなたのたべもののように
 裁きの空からは 信じられないほど
 うつくしい骨の灰が降つてくる

 その頃 とある廃苑の涸れた噴水のほとり
に ぼくの愛はいつもと同じカーヴを描いて
ゆく うつつともなく やがて あの眩暈に
も肖た饗宴の果てに 一茎のグラジオラスの告
白を 風はしみじみと聞いていた

あわれ 死の螢光燈にひたりながら

人見勇詩集『襤褸聖母』より

遁走のうた

或る殺意をひめた
ジユラルミンの波動が遠のいてゆく
さみしい肋骨のアンテナに ひととき
鰯雲のさざなみがうちよせてくる

 ――ひたひたと 懶惰の脚を洗う 裂けた
地図の湖のほとり 自殺した友をおもう青林
檎の歯型に なおも 鉄路づたいに迫つてく
る 銹びついた鎖の階段の風…たしかに
たつたいま 世界の何処かで試みられている
 最後の輪投げに おののく折れ蘆のかげで
 ぼくは あの墓石のように聳つ 嶺々のし
づけさに 悪い胸を圧されつづけていた ひ
とり しろがねの柩の釘穴をみつめながら

 ああ 天の檻に光る
 窶れはてた父の斧の瞳
 あなたの聖書の灰が降りかかる
 このパンを けさもさわやかに焼きながら
 またしても ぼくは
 こつそり 注射針の企みに堕ちてゆく

 花芙蓉の露をつき刺す
 夜光時計のひややかな速度のなかに

人見勇詩集『襤褸聖母』より

眼をつむる降誕祭

ひびわれた
手鏡の中のレールを
蒼い猫が横ぎつていつた

仰向けになつた
ぼくのベツドの橇を索いてゆく
水銀のような細い手

キシキシ キシキシ
湖の氷面鏡が歪むたびに
石膏の片脚が近づいてくる

ああ
こんなにも揺れ合う
血の提燈を贈つてくれた

ナザレの隕星も凍るような
夜の天涯に佇ちつくす
老いた受難者よ

人見勇詩集『襤褸聖母』より

白昼夢

ゆるされた
光の涯をみつめながら
流木の罠の中に疾んでいる

くらげは 今日も漂う

重油に喘ぎあえぎ
浮標にさみしく語つている
丘の白百合の聖歌に送られて
船出のテープにもひらひらゆれる
――善意を信じるかなしみについて

ああ
そんな ひとときも
あかるく ぐんぐん伸びてゆく
雲の峰に憑かれたように

くらげの幻想のように

紺碧の水平線へ
見えない世界の額縁をかついでゆく
にんげんよ
にんげんよ

人見勇詩集『襤褸聖母』より

冬の夜のダイビング

ゆうべ ぼくは
疾む世界を脱けだし
凍える雲の飛込板佇つていた

しきりに 血尿を放つ

涸れたプールの底には
共同墓地の
白い十字架の影が刻まれて――

いつか銹びついたまま

胸につき刺さる弾丸を
するするかすめては
堕ちてゆく 小さい落日のひかり

重たげな空気の翅

とある 屍室の鍵穴を訪う
殉教徒のまなざしに肖た
水仙の祈りの手よ
ああ

遠い 雪の荒野に
なおも昏れのこつている
犯したぼくの手よ

神の銃眼をまさぐりながら

人見勇詩集『襤褸聖母』より

夜のシクラメン

雹が熱い瞼をたたいてゆくと
ほのかに匂つてくる

まだ青い心臓に肖た
傷む葉のかげから

灰にまみれた翅をひらく
白い蝶の影が
遺された木琴をかなでながら

消えてゆく 肋骨の夢の果て
あんなに隧道の中に垂れている

星の氷柱をつぎつぎ鳴らしてゆく
墓石の馬車の鞭よ

ああ 今宵も

小さな肖像画を背にしたまま
佇ちつくす 懺悔の足もとで

昨日の剃刀をといでいる
夜の断崖の風よ

シクラメン
あたらしい蕾にふれながら

人見勇詩集『襤褸聖母』より